「評価=答え」ではない

新しい仕事に就いて、3週間が経つ。

前職とは全く違う、物流トラックドライバー。

周りからは、「あぶない」「キツイ」「大変」とか、色々な意見を頂いた。

正直、どれも前向きな意見ではなくて、内心「何で応援してもらえないのかな」と思った。

人は自分が思うよりも、自分を見ていない。無関心ではないが、そこまで深くは考えて見ていないし、言ってないだろう。
と、思う反面、それは自分に対する一つの印象なのか、とも思った。

とは言え、自分の事を決める、見極めるのは、自分。

もちろん、大切な人の言葉には耳を傾けてしっかり受け止めるべき。

でも、最後に決めるのは自分。
責任をとる、何かあればケツを拭くのも自分。

「何かに守られている状況では、本当に研ぎ澄まされるべきところが、ダメになる。」

僕が、12年勤めていた前職を辞めたのは、その理由が大きい。

もちろん、ほかにもいくつか辞めた理由はあるが、根本はこれ。

人の評価や、人の意見、顔色、行動。

それらと自分の信念を注ぐ事に関係あるだろうか。

僕はないと思う。

もちろん仕事となれば社会的なルールはある。
常識もある。付き合いもある。

でも、仕事は、求められる結果をいかに出すかが、一番大事なところだと思う。

結果に対する評価
は、気にしないといけない。

そのために、自分がどれだけ真剣に取り組んでるのか、打ち込めるかがその仕事への情熱であり、自分自身と家族を納得させる条件でもある。

人は、常に結果やその時目に見えている事のみで、物事を判断するもので、互いに意識のズレはある。

「評価」は、あくまでもある人の一つの見方であって、答えではない。

報酬=評価

は、仕事では評価が全て。

でも、評価=答え

ではない。

極端に言えば、評価が悪かったとしても、自分で「これが良かった」と信じてやったんであれば、それが答え。

べつにそれが何ヶ月か、何年かして、少しずつ答えが変化していってもいいと思う。

問題はその時、周りに居てくれる人や、今の環境、将来、色んなこと考えて、真剣に取り組んで動いているか。

仕事と日常では、評価の意味は全く違う。

すごく曖昧な内容でわかりにくいかもしれないけど、いちいち人の言うことに考え込むことが、決心がない状態だ。
でも、周りが「思ってくれてる」ことは事実。それは、キチンと受け止めた上で自分の道を作っていく。

普段の自分をみて、周りの人はいろいろ言ってくれるわけなので。

今回、転職というチャレンジに反対する人はいなかった。
でも、心配はものすごくされている。

僕は、ありがたい反面、
「あ、心配いらんかったか」って思わせないとあかん、と思ってる。

結局一人で生きてるわけじゃないんで、決断や責任は自分で持つものやけど、それを支えてくれてる人は常にいてる事は絶対忘れてはいけない。


◎村田鍼灸院◎

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